文芸春秋

■[文学]芥川賞2作
連続で読みました。思ったことと自分と照らし合わせての感想。
私は高校時代進学校で出歩くことも少なく世界が非常に局所化されていて、視野も非常に狭かったのだが、そんな私でも世界観をそれなりに持ち合わせていたわけで、今からは考えられないような小さく狭い、そんな高校時代に思っていた人間分布図は次の4パターンに集約される。
1. "まとも"または"マジメ"で明るく誰からも認知されたい"陽"
2. "マジメ"だが"暗い気質"特定の人間からだけ認められたい"陰"
3. 学校という雰囲気をもたずアングラな世界で活躍する"陽"
4. アングラな中でも搾取の対象となる"陰"
世間一般的にはどうか知らないが、比較のサンプルの少ない地方において世間知らずの高校生の持てるパターンなんてこんなもんだ。実際の人間性というのは4に行けは行くほど人格がしっかりしてたりするかもしれない。今回、芥川賞2作を呼んで「蛇にピアス」は4、「蹴りたい背中」は2に該当すると感じた。正直、当時は4なんて人間は卑下の対象だったし、まともな人間などいないだろうというのが世間一般の感想だろう。それが段段と違う心象に変わってきたのはごくごく最近のことだったし、頭で分かっている人間ならごまんといるが、本心は上から見てるというもの。自分では1に該当していたと思うし、他人から見てもそう見られていたことは自覚していた。そして"世間を知ったか"していた。世間を知らないが故に知っていると感じていた。これは相対的なことだが、自分は他人に比べてわりと不幸な少年時代を送ってきて、一冊本でも書けるほど可哀相な子だったのだが、そんな子でも世間は知れるもんじゃなかったし、現実とは世間知らずが想像できるほど単純には出来ていない。そういう意味で現実の4に該当する人間は壮絶なまでの度胸を持っていたりする。そうこの作品からは感じた。一方、2は困ったタイプ。少数の人間からだけ認めてもらえればよいというのは裏返せば、誰からも認められたいという主張の表れだ。結局は自分を認めてくれる人間を少なくしていることに気づかない寂しい人間でもある。そいういう人間の"目先を読みがち"な性格がよく現れてる作品が「蹴りたい背中」だった。見方によれば、恋愛小説だろうけど。所詮ハタチ前後の人間にしか該当しないし、読んで反響があるのもこの世代だけかもしれない。「インストール」は中高年にも売れたと聞きました。